1958 8月16日 マドンナ・ルイーズ・ヴェロニカ・チコーネ(Madonna Louise Veronica Ciccona)、アメリカミシガン州デトロイト郊外のベイ・シティで生まれる。両親とも熱心なカトリック信者だった。
1965 母親ががんのため死去
1967 父親がハウスキーパーとしてチコーネ家にやってきた女性と再婚
1969 ダンスのレッスンを受け始める。
1972 9月 ロチェスター・アダムス・ハイスクールに入学
1975 9月 ロチェスター・アダムス・ハイスクールを卒業し、その優秀な成績と抜群のダンス・センスが認められて、奨学金を得てミシガン州立大学の舞踏課程に入学。本格的なクラシック・バレエやモダン・ダンスのレッスンに励む。
1976 奨学金を得て入学したミシガン州立大学を1年で中退し、スターの座を夢見て単身ニューヨークへ。この時、マドンナ17歳。彼女がわずか35ドルを手にしてニューヨークにやって来たというのは、もうあまりにも有名な話。
1978 N..Yでは、昼間はダンキン・ドーナツやバーガー・キングで時給1ドル50セントのウェイトレスをしながら、夜は本格的にダンスの修行という生活。
1979 ベルギーのディスコ・シンガー、パトリック・ヘルナンデスのヨーロッパ公演に同行するバック・コーラス&ダンサーの一員に抜擢され、パリで初めてヴォイス・トレーニングを受ける。
7月 約半年間のパリ生活のあと、ニューヨークのイースト・ヴィレッジに戻り、ブレックファスト・クラブにドラマーとして参加。本格的に音楽活動を開始する。
1980 ブレックファスト・クラブを脱退。その後、様々なローカル・バンドで歌い始める。また、この時期、彼女は生活費のため写真学校のヌード・モデルの仕事を引き受けたりしていた。ミシガン州から旧友スティーブン・ブレイを呼び寄せ、N.Y.で「エヴリバディ」をはじめとする4曲のデモ・テープを製作。前衛映画「A Certain Sacrifice」に出演。これが日本では「マドンナin生贄」のタイトルで1985年にビデオ発売された。
1981 デモ・テープがダンステリアというディスコのDJでプロデューサーでもあるマーク・ケイミンズに認められ、彼のプロデュースでもう一度そのデモ・テープを作り直す。
1982 マーク・ケイミンズの仲介で、ワーナー・ブラザーズ傘下のサイアー・レコードとの契約に成功。契約の内容は、5000ドルで12インチシングルを3枚作るというもの。
10月 「Everybody」が12インチシングルで全米発売。Ed Steinberg監督によるこの曲のビデオが1500ドルという低予算でNYの“The Paradise Garage”というクラブで製作されたが、MTVでのリリースはされなかった。
12月25日 「Everybody」が米ビルボードで107位を記録。
1983 1月8日 「Everybody」はHOT100内にエントリーしなかったが、クラブ・プレイチャートで3位を記録。
3月 セカンド・シングル「Burning Up/Physical Attraction」が12インチで全米発売。
5月 NYマンハッタンのStudio 54で「Holiday」をパフォーマンス。
5月21日 「Burning Up/Physical Attraction」もHOT100入りすることはなかったが、クラブ・プレイチャートで第3位を記録。
6月 ロンドンのMusic Machinで「Holiday」をパフォーマンス。
7月 サード・シングル「Holiday」全米発売。低予算でビデオも作られたが、リリースされることはなかった。
7月27日 デビュー・アルバム『Madonna』全米発売。(邦題は『Burning Up』)
9月24日 NYのUncle Sam's Clubで、「Physical Attraction」、「Everybody」、「Holiday」、「Burning Up」をパフォーマンス。「Holiday」はクラブ・プレイチャートでついにNo.1の座をゲットする。
10月 「Burning Up」のビデオが、MTVで公開される。
10月13日 ロンドンのCamden Palaceで、「Burning Up」、「Everybody」、「Holiday」の「パフォーマンスをおこなう。
10月29日 「Holiday」がHOT100入り。初登場76位で、マドンナ初のHOT100 入りとなる。
11月 映画「Vision Quest」カメオ出演の撮影をおこなう。ナイトクラブのシンガー役。
1984 1月 アメリカABC放送、イギリスBBC放送に出演。「Holiday」のパフォーマンスをおこなう。
2月 第4弾シングル「Borderline」全米発売。
4月 セカンド・アルバム『Like A Virgin』のレコーディングを開始。
4月 ファースト・アルバム『Madonna』が50万枚突破。
6月16日 シングル「Borderline」が初の全米TOP10ヒット(最高10位)を記録。
8月 第5弾シングル「Lucky Star」全米発売。
8月14日 ファースト・アルバム『Madonna』が100万枚突破。
9月 初の主演映画「マドンナのスーザンを探して」クランクイン
9月14日 NYのラジオ・シティで開催された第1回MTVビデオ・ミュージック・アワードにおいて、「Like A Virgin」のパフォーマンス。ウェディングドレス姿が大きな話題となる。
10月20日 ファースト・アルバム『Madonna』が全米8位、シングル「Lucky Star」が全米第4位を記録する。
10月31日 セカンド・アルバムからの先行シングル「Like A Virgin」全米発売。初の全米No.1の座を獲得するビッグ・ヒットになった(6週連続第1位)。また、イギリス、カナダ、ドイツ、イタリア、日本など世界各国で軒並みチャートNo.1をマークした。
11月12日 セカンド・アルバム『Like A Virgin』全米発売。全米No.1をマーク。イギリス、カナダ、ドイツ、イタリア、オーストラリア、ニュージーランド、日本など世界11カ国でチャートNo.1を獲得。結果、世界で2300万枚のビッグ・セールスを記録した。
12月 初のビデオ・クリップ集「Like A Virgin」発売。
1985 1月10日 Mary Lambert監督の「Material Girl」のビデオ撮影がLAで開始。そこで当時24歳のショーン・ペンと出会う。
1月19日 プロモーションのため初来日。
1月23日 セカンド・アルバム『Like A Virgin』200万枚突破。
1月28日 LAのShrine Auditoriumで開催された、第12回アメリカン・ミュージック・アワードに出席。(“Favorite Pop/Rock Female Artist ”部門にノミネート)
1月31日 シングル「Material Girl」全米発売。
2月13日 NYのクラブ“Private Eyes”でショーン・ペンと初デート。
2月15日 映画「ビジョン・クエスト〜青春の賭け」全米で封切。映画の公開に合わせて同名のサントラも全米発売。この映画より、「Crazy For You」と「Gambler」のビデオがMTVで公開となる。
3月 「Crazy For You」全米発売。また、「The Virgin Tour」のリハーサルが開始される。
3月29日 初の主演映画「マドンナのスーザンを探して」全米で封切。これに合わせてこの映画からの「Into The Groove」のビデオがMTVで公開される。
4月 「Angel/Into The Groove」を全米でシングル・カット。12インチ・シングルとして発売される。
4月10日 ワシントン州のパラマウント・シアターにて、マドンナ初のツアー「The Virgin Tour」がスタート。計41回のステージがおこなわれたこの初の全米ツアーでは、60万人もの観客を動員。そのチケットがわずか24分でソールド・アウトとなり、大きな話題を呼んだ。
6月11日 「The Virgin Tour」がNYのマジソン・スクエア・ガーデンにて最終日を迎える。
6月24日 マドンナとショーン・ペンが8月16日に結婚することが発表される。
7月 「マドンナのスーザンを探して」のテーマ曲「Into The Groove」がイギリス、日本でシングル発売され、大ヒットした。
7月7日 雑誌ペントハウスが、1979年に撮影されたマドンナのヌードを掲載することを発表する。翌日には、プレイボーイ誌も掲載を発表し、大きな話題となる。
7月13日 アメリカ・フィラデルフィアのJFK Stadiumで開催された、ライブ・エイドに出演。「Into The Groove」「Holiday」「Love Makes The World Go Round」の3曲をパフォーマンス。
7月22日 セカンド・アルバム『Like A Virgin』500万枚突破。女性ソロ・アーティストとして初の500万枚突破となる。
7月24日 シングル「Dress You Up」全米発売。
8月2日 1979〜81年に撮影された「A Certain Sacrifice」のビデオ発売をめぐって裁判がおこなわれていたが、マドンナ側が敗訴。
8月16日 マドンナ27歳の誕生日のこの日、俳優のショーン・ペンと挙式。ハネムーンのあと、マドンナはサード・アルバムの製作にとりかかる。
10月1日 「A Certain Sacrifice」のビデオが59ドル95セントで発売される。
10月15日 ファースト・アルバム『Madonna』全米で300万枚突破。
11月11日 この年の「The Virgin Tour」の模様を収めた同名ライブ・ビデオ発売。
11月6日 セカンド・アルバム『Like A Virgin』が全米で600万枚突破。
12月 米ビルボード誌が発表した1985年の年間チャートで7部門を制覇。(トップ・ポップ・アーティスト、トップ・ポップ・アルバム女性アーティスト、トップ・ポップ・シングルアーティスト、トップ・ポップ・シングル女性アーティスト、トップ・ダンス・クラブ・プレイ・アーティスト、トップ・ダンス・セールス・アーティスト、トップ・ミュージック・ビデオ)
1986 1月 マドンナ主演第2弾映画「上海サプライズ」マカオでクランクイン。ジョージ・ハリスンの製作会社、Jim Goddard 監督による作品。
1月18日 「The Virgin Tour」ライブ・ビデオがミュージックビデオ部門で1位を獲得。
2月20日 マドンナとショーン・ペンは、ドイツのベルリンで開催された、ベルリン映画祭に出席。
2月21日 マドンナとショーン・ペンは、「上海サプライズ」の撮影を終えるため、ロンドンに渡る。空港で、二人の乗ったリムジンがカメラマンを倒す。このことから、のちにイギリスのメディアは、“ポイズン・ペン”というニックネームを付ける。
2月27日 Rolling Stone誌の読者が選ぶ、第10回“ワースト・ドレッサー賞”にマドンナが選ばれる。
3月6日 ロンドンにおいて、マドンナとジョージ・ハリスンが「上海サプライズ」の記者会見をおこなう。ショーン・ペンがイギリスのメディアにとった行動について、レポーターがマドンナに謝罪するように要求したが、マドンナは「謝罪することは何も無いわ」と語る。
3月11日 米国民が選ぶ人気投票、第12回People's Choice Awardsにおいて、マドンナは“好きな女性アーティスト賞”を受賞。ロンドンの「上海サプライズ」のセットで賞を受け取る。
4月2日 シングル「Live To Tell」全米発売。
5月 日本のTV-CM(三菱電機)に登場。
6月7日 シングル「Live To Tell」全米No.1を獲得。
6月18日 シングル「Papa Don't Preach」全米発売。10代の女の子が妊娠した子供を出産することを決断するという衝撃的な歌詞が、米国家族計画連盟との論争を引き起こす。
6月30日 サード・アルバム『True Blue』全米発売。「Papa Don't Preach」のビデオも公開される。
8月16日 最初の結婚記念日でもあり、マドンナの28歳の誕生日でもあるこの日にショーンとマドンナはNYのGotham Bar and Grillで祝福をあげた。アルバム『True Blue』は、5週目のNo.1を、そしてシングル「Papa Don't Preach」は2週目のNo.1に輝く。
8月28日 マドンナとショーン・ペンは、NYのリンカーン・センターで「Goose & Tom-Tom」という舞台に出演。この舞台はGregory Mosherが監督し、マドンナは情婦「ロレイン」役で出演。しかし、この舞台は一般には公開されず、4日間のみの公演だった。
8月29日 映画「上海サプライズ」が全米で公開。
9月5日 第3回MTVビデオ・ミュージック・アワードで、“ビデオ先駆者賞”を受賞。
9月10日 シングル「True Blue」全米発売。
9月19日 LAのWiltern Theatreで開催されたAIDS Project Los Angelesに参加。映画「上海サプライズ」が世界で公開される。
10月11日 NBCテレビの人気番組“サタデー・ナイト・ライブ”に出演。
11月 主演第3弾映画「フーズ・ザッツ・ガール」クランクイン。
11月15日 シングル「True Blue」全米No.3を記録。アルバム『True Blue』が全米で300万枚認定される。
12月 シングル「Open Your Heart」全米発売。
1987 1月26日 第14回アメリカン・ミュージック・アワードで、女性ポップ/ロック・ビデオ部門の優秀賞を獲得。
2月3日 アルバム『True Blue』が全米で400万枚認定される。
2月7日 シングル「Open Your Heart」全米でNo.1を獲得する。
3月 シングル「La Isla Bonita」全米発売。これが11曲目の全米トップ5ヒットとなった。
3月15日 米国民が選ぶ人気投票、第13回People's Choice Awardsにおいて、マドンナは“好きな女性アーティスト賞”を受賞。前年に続いての受賞となる。
3月29日 最悪な映画を選ぶ第7回ラジー賞にマドンナは最悪女優賞を受賞(上海サプライズ)。
3月30日 第59回アカデミー賞のプレゼンターを務める。
4月 「Who's That Girl Tour」のリハーサルスタート。
6月11日 初の来日公演のため来日!
6月14日 大阪球場にて、マドンナ初の日本公演がスタート。この日の公演が彼女の初のワールド・ツアー「Who's That Girl Tour」の幕開けにもなった。このあとツアーは北米を回り、16都市19公演で観客動員数130万人を記録。
6月20日 後楽園球場でおこなわれる予定だった東京公演の初日が大雨のために公演中止に。大勢のファンが雨の中、悲嘆の絶叫。
6月27日 アメリカ、マイアミで「Who's That Girl Tour」の北米ツアーをスタートさせる
7月 映画「Who's That Girl」のオリジナル・サウンド・トラック全米発売。同アルバムからの第1弾シングルとしてメイン・タイトルの「Who's That Girl」がカットされる。全米No.1を記録。
7月13日 ニューヨークで開催された、エイズのチャリティコンサートでパフォーマンスをおこなう。
7月14日 セカンド・アルバム『Like A Virgin』が全米で700万枚突破認定。
8月5日 NBCの番組でインタビューされたマドンナが故郷のことを“臭いちっちゃな町よ”と発言したことが地元で論争を巻き起こす。
8月6日 映画「Who's That Girl」のニューヨーク、タイムズスクエアのThe National Theatreで開催されたプレミアに出席。
8月7日 ポンティアックのスタジアムでのライブ中に、42000人の観客の前で2日前のNBCテレビでの発言を謝罪する。
8月11日 アルバム『True Blue』が全米で500万枚認定される。
8月15日 ロンドン、ウェンブリー・スタジアムを皮切りにヨーロッパ・ツアーをスタート。
8月28日 フランスのパリに到着したマドンナは、パリ市庁舎で開催されたレセプションに出席。フランスの首相にエイズチャリティとして85000ドルを寄付。
9月6日 イタリアで「Who's That Girl Tour」の最終公演をおこなう。
9月 シングル「Causing A Commotion」全米発売。最高位2位を記録し、通産13曲目の全米トップ5ヒット。
9月29日 「Who's That Girl」のオリジナル・サウンド・トラックが全米で100万枚の認定を受ける。
10月 アルバム『True Blue』が全世界28カ国でチャートのNo.1を獲得し、ギネス・ブック入り。
10月5日 フォーブス誌による調査で、エンターテイメント界において女性No.1の収入であることが発表される。
10月12日 1953年のEartha Kittの「Santa Baby」をカバーし、『VERY SPECIAL CHRISTMAS (クリスマス エイド)』に収録。
11月17日 ダンス・ミックス・アルバム『You Can Dance』全米発売。未発表曲「Spotlight」が収録される。
12月4日 マドンナはロサンゼルス高等裁判所にショーン・ペンとの離婚申し立てを申請する。
12月16日 マドンナとショーンは和解し、裁判所に提出した書類を撤回。
12月24日 マドンナは、映画「Bloodhounds Of Broadway」の撮影を開始。
12月26日 米ビルボード誌が発表した1987年の年間チャートで3部門を制覇。(トップ・ポップ・シングルアーティスト、トップ・ポップ・シングル女性アーティスト、トップ・ダンス・セールス・アーティスト)
1988 1月20日 アルバム『You Can Dance』全米で100枚認定。
2月23日 演劇「Speed the Plow」のリハーサルを開始する。
3月10日 ローリング・ストーン誌の第12回読者投票においてマドンナは、「ワースト女性シンガー」「ワーストドレッサー」「最もセクシーな女性アーティスト」に選ばれる。
3月23日 ファースト・アルバム『Madonna』が全米で400万枚の認定を受ける。
4月10日 第8回ラジー賞で、マドンナは映画「Who's That Girl」の演技に対して、「最悪女優賞」を贈られる。
5月3日 初の舞台女優にチャレンジした演劇「Speed the Plow」がN.Yのブロード・ウェイにあるロイヤル・シアターで幕を開ける。
5月24日 Who's That Girl Tour」でのイタリアでのライブの模様を収録したビデオ「Ciao Italy」が発売される。
6月27日 マドンナとショーン・ペンは、ニュージャージーで開催されたボクシングの試合(マイク・タイソン)を観戦。
8月16日 マドンナの30歳の誕生日と、3回目の結婚記念日を祝って、マドンナとショーンはニューヨークでプライベートパーティを開く。
9月4日 N.Yのブロード・ウェイで開催されていた演劇「Speed the Plow」にマドンナが最終出演。
9月26日 マドンナはプロデューサーのPatrick Leonard、Stephen Brayと共に『Like A Prayer』のレコーディングをロサンゼルスでスタートさせる。
11月16日 マドンナは、ロサンゼルスで開催されたショーン・ペン出演の映画「HurlyBurly」のオープニングに出席。
12月12日 マドンナはコロンビア・ピクチャーズと2年間の映画出演契約を交わす。
12月28日 マドンナはマリブ(カリフォルニア)の保安局にショーンに対する暴行罪の書類を提出する。タブロイド誌は、ショーンが家に乱入し、マドンナを9時間に渡って椅子に縛り付け暴力をふるったと書き立てる。二人はこれを否定。
12月31日 マドンナはショーン・ペンと離婚することを正式に認める。
1989 1月5日 マドンナはロサンゼルスの高等裁判所に離婚届を提出。受理される。
1月18日 マドンナはハリウッドに3百万ドルの豪邸を購入する。
1月25日 マドンナは、TVコマーシャルの出演と、ワールドツアーんのスポンサーとしてペプシ・コーラと5百万ドルの契約を結ぶ。
2月2日 映画「ディック・トレイシー」のクランクイン。監督、主演はウォーレン・ベイティ。マドンナはこのあと1990年にかけて彼と恋愛関係を続けることになる。
2月26日 マドンナはロサンゼルスで開催されたエイズのチャリティ、ダンサソンに参加する。
3月2日 マドンナのペプシ・コーラCM"Make A Wish"がNBCテレビの番組の中でプレミア公開され、40ヶ国で2億5千万人もの人がこのCMを見る。「Like A Prayer」がCMソングとして使われた。
3月3日 MTVで、「Like A Prayer」のビデオが初公開される。
3月4日 イタリアにおいて、「Like A Prayer」に対しての抗議が勃発する。神を冒涜しているということで、法的な措置が検討される。
3月7日 シングル「Like A Prayer」リリース。
3月21日 アルバム『Like A Prayer』全米発売。
3月30日 ペプシに対して、マドンナのスポンサーから降りなければ、ペプシ商品の1年の不買運動をおこすとAmerican Family Associationから通告される。
4月4日 ペプシは、マドンナとのCM契約を破棄し、「Like A Prayer」で物議を醸したTVコマーシャルを流さないことと、ワールドツアーのスポンサーから降りる。
4月5日 カナダのペプシは、「Like A Prayer」の騒動はあったものの、マドンナのCMを流し続けると発表する。
4月22日 アルバム『Like A Prayer』は6週間のNo.1、シングル「Like A Prayer」は3週間No.1をゲットする。
5月9日 シングル「Express Yourself」全米発売。
5月10日 これまでのミュージック・ビデオの制作費で最も高い5百万ドルを投じて作られた「Express Yourself」のビデオがMTVで公開される。
5月16日 シングル「Like A Prayer」が全米で100万枚突破。
5月23日 アルバム『Like A Prayer』が全米で200万枚突破。
5月24日 ニューヨークのブルックリンで開催された熱帯雨林チャリティのコンサートに出演。Sandra Bernhardと「I Got You Babe」をパフォーマンス。
5月31日 ニューヨークのマンハッタンで開催された第1回インターナショナル・ロック・アワードで最優秀女性ボーカリスト賞を受賞。
8月16日 マドンナの31回目のバースデー・パーティがウォーレン・ベイティや友人たちによってロサンゼルスのクラブで祝われる。
8月21日 ハーブ・リッツ監督の「Cherish」のビデオがMTVで公開される。
8月29日 「Cherish」のシングルが全米で発売になる。
9月6日 第6回MTVビデオ・ミュージック・アワードで「Express Yourself」をパフォーマンスする。この曲は監督賞などを受賞し、「Like A Prayer」が視聴者賞を受賞する。
9月19日 マドンナとショーン・ペンの離婚が成立。
10月7日 「Cherish」が全米No.2を記録。マドンナはビートルズが持つTOP5ソング16曲の記録を破る。
11月 「Oh Father」全米発売され、ビデオも公開される。また、イギリスでは「Dear Jessie」がシングルリリースされ、ビデオも公開となるる。
12月25日 People誌が選ぶ「世界で最も好奇心をそそられる25人」の一人に選ばれる。


1990年以降:準備中